へら鮒専門店 柴舟 「昭和42年」・・・オープン
橋本には当時竿師さんが100名以上おられたのではないでしょうか?
何しろ竹竿のことまったく知らず竹竿に付いていろいろお聞きしまして
3種類の違った素材で作ることを知りました。
3継では穂先が真竹・穂持が高野竹・元が矢竹・・・総高野竹とは(元も高野竹)との事でした。
竿師さんは皆優しく作業しながらいろいろな事を教えてくれました。
その後、宿泊させてもらう事になり最初に泊めて頂いたのは現在の「夢月道人」さん宅でした。
夢月道人さんの奥さんは明るくさわやかな人柄で・・・あれから40年今でも変わらず本当に素晴らしい方です。
なぜ「夢月道人」さんかと申しますと当時夢月道人さんの師匠に「水玉」さんがおられました。
当時「水玉」さんに当店オリジナル竿(極楽鳥)と言う竿を作って頂いておりそれで「水玉」さんの紹介で「夢月道人」さん宅をお邪魔したと思います。
その後「夢月道人」さんに店名の「柴舟」名でお願いしておりました。。
夢月道人と言う竿銘を並行しながら柴舟銘を作って頂きました。
当時竿銘は問屋さんごとにありましたので多い人は4~5つの竿銘を使っておりました。
カーボンが出る前で基本的には竹竿が主流でした。(グラス竿はありましたが)江戸川とか・・・
話はもっと古くなりますと現在は「尺」(一尺は約30センチ)、幾らとなっておりますが当時は一本幾らでした。
それが約60~70年前は一本2~3百円との事だったそうです。
いつから「尺」幾らになったかは定かではありませんが以前「至峰」さんが尺幾らに変えた様な話をされていた記憶がありますが(定かではありません)
当店がオープンしたのは「昭和42年10月」オープン時は尺で計算されておりました。
ところで当時「先代孤舟」「源竿師」「先代山彦」「至峰」さんは他の方より2~3倍しておりました。
何でそんなに違うのかが不思議でしたが。
それからいろいろな竿師さん宅にお邪魔し勉強をさせていただきました。
殆どの方の家に行きましたかね・・・
でも「至峰」さんへはなかなかお邪魔する機会がなく9~10年後ではなかったかと思いますが初めて「至峰」さんへ向かいました。